こんにちは。
コーチングと哲学カフェが好きな精神科医のまえまえです。
2021年2月21日、日曜朝の哲学カフェ「ゲーテカフェ」では、
「名付けるってなんだろう」
というテーマで哲学対話をしました。
今回は、そこに参加されたペンネーム「とまりあし」さんから感想レポートをいただきましたのでご紹介します。
参加の経緯
表現の場作りを勉強している関係で、以前から「哲学対話」に興味があり今回初めて参加させて頂きました。
テーマは「名付けるってなんだろう」。 何を話してもいいので、色々な意見、切り口、捉え方が出ていました。穏やかな雰囲気の中、テーマを軸に繋がりつつ、少し離れたり戻ったりしながら、全体が掘り下がっていきました。
印象的な3つのポイント
良い名付け、悪い名付けはあるのか?という問いかけ
自分の気質や弱点に向き合い原因が特定できたことで、自分を責めないでいられるようになった経験や、特性を持つ人に関わった経験など、多方向からの視点を聞き、意見を交わしたことがとても貴重でした。
例えばHSPを例に挙げて考えた時に、名付けを「ラベリング」という視点で読み解くと、自己理解の助けになる反面、「レッテル」となってしまうと、その人の全体性・本質を見え辛くするという見方が浮かび上がってきました。
名付ける(=定義づける)ことで意思疎通が容易になったり、名付けて見方が固定されることでかえって取りこぼすものが出てきそうな、助けられたり悩まされたりするもの…。
対話を通して、見えてくるものがあるのに限定されない感じがしました。決めつけがない場だから生まれる余白なのかもしれません。
人から名付けられる、自分が名付ける
「もしこの世界に自分一人だったら名付ける必要がない」という視点が面白かったです。
「自己紹介は自分を名付ける事に近い」という見方があったり、「自己紹介よりも相手を知ることが出来るのは相手の価値観に触れる時」という意見もありました。
話は別の切り口になり、自分では「ネガティブ」としか見てこなかった特徴も、もしかしたら「慎重さ」として捉えられるかもしれない、という意見もありました。
決めつけることなく見つめ直してみると、今 まで見えなかった側面に気づきます。
誰かに知ってもらう為ではなく、自分について説明するとしたら、改めて「自分を名付ける」としたら、普段の自己紹介とどんな風に変わるのでしょうか?
まとまりがないことで、まとまっている
最後に参加者が、この場での体験を言い表していた言葉です。素敵な表現で印象に残っています。
「答えがなくても良い」という基盤の上に、初対面の人同士でもお互いを知り、テーマについて意見を交換し共に考える事が出来ると知りました。結論を導き出すという目的がなくても場が発展していくのを感じました。
対話を終えた感想と参加したい方へメッセージ
社会的な役割として期待される受け答えや、正解を意識して話す事とは違って、評価される事なく「これが好き」「こう思う」「これを大切にしている」と言える時間でした。普段の役割を離れた自分と繋がり、日常の中に埋もれてしまいやすい自分の価値観を再確認する機会になりました。
お互いを知っている様な気がする、と言って良いのか分かりませんが、この他にも話した沢山の事を振り返ってみると、まるで、自分 (たち)を価値観によって名付ける時間だったように思います。
この空間を例えるなら、背負っている物を一旦置いて休める、旅のオアシスのような、峠の茶屋みたいな感じです。それから先の旅のお供になる問いに出会えるかもしれませ ん。その問いに繋がっている何かは、既にあなたの中にあって、気づいて貰うのを待っているのかもしれません。
また色んな方の意見を聞いてみたいと思いました。ご一緒して頂いた皆さん、豊かな時間をありがとうございました。
by とまりあし
さいごに
とまりあしさん、素敵な感想をありがとうございました。
皆さんいかがでしたでしょうか。
少しでもゲーテカフェの雰囲気が伝わったらいいなと思います。
ゲーテカフェは月に1回ほどやっています。
またどこかでお会いするのを楽しみにしています。
皆さんに穏やかに考えられる日々を:)